歴史の扉へようこそ。旅人です!
先日の大河ドラマ『麒麟がくる』ではとうとう松永久秀が最期を迎えてしまいましたね(´;ω;`)
ところで、彼のお墓がある奈良の達磨寺をご存じでしょうか?
小さなお寺で、あまり知らないという方も多いかもしれませんが、見どころたっぷりで、日本中のお寺を巡っている私も満足度120%のお寺でした!
今回はそんな隠れた名寺の歴史に迫ろうと思います!
今回の記事では、下記について解説します。
- 達磨寺の歴史・見どころ
- 松永久秀の墓
- 御朱印
達磨寺の歴史・見どころ
聖徳太子ゆかりのお寺
達磨寺創建の歴史は上記Tweetの通りで、聖徳太子ゆかりのお寺なんですね。
伝説自体は日本書紀や元亨釈書などの歴史書にも書かれており、当初は達磨塚上に精舎が建っていましたが、長い歴史の中で荒廃しました。鎌倉時代の建久年中(1190~1199)に現在につながる達磨寺が建立され、本堂は今も古墳の上に建っています。
ところで、今年は聖徳太子没後1400年の節目の年。「聖徳太子って有名だけど、何をした人か詳しくは知らない」という方は下記法隆寺の記事もご一読ください。
達磨寺がたどった過酷な歴史
ここで、歴史にお詳しい読者の方は、少し疑問を持たれたのではないでしょうか。
「聖徳太子ゆかりのお寺だけど、臨済宗なの?」
そう、保守的な古寺がひしめく奈良において、鎌倉時代以降に登場した禅宗である臨済宗のお寺はかなり珍しい、異端の寺だったのです。
創建当初はかなり反発も強く、嘉禎年中(1235~1238)には興福寺僧に焼かれるなど、過酷な歴史をたどりました。
室町時代に、幕府の命により中興されますが、永禄年中(1558~1570)には後述の松永久秀の兵火で焼失。豊臣秀頼により再建されるなどして、現在にいたります。
人間の言葉が話せる?聖徳太子の愛犬雪丸
達磨寺境内には聖徳太子の愛犬雪丸の像があります。
雪丸は人間の言葉が話せ、お経を唱えたそうです(^^;)
臨終の際には「自分を達磨塚の北東に葬るように」と遺言したとのことです。
王寺町のゆるキャラにもなっています!
貴重な仏像が間近で見られる!
本堂に安置された本尊の仏像3体を間近で見ることができます!
木造聖徳太子坐像。鎌倉時代作の聖徳太子摂政像です。
木造千手観音坐像。現状392本の手がありますが、もとは500本ついていたとされます。細かい手の作りが精緻で美しい。
木造達磨坐像。永享2年(1430)に室町幕府将軍:足利義教が命じて制作。柔和な表情を浮かべています。
これが松永久秀の墓なのか?
戦国武将・松永久秀の略歴はこんな感じです。
- 織田信長の前の天下人である三好長慶に仕えた智将
- 奈良の数々の寺院と対立→東大寺も焼き討ちに
- 奈良での利害関係を巡り織田信長と対立し、自害。爆死伝説も
奈良の寺院と因縁のある戦国武将でもあり、達磨寺も彼により焼かれたわけですが、後世に創作された爆死伝説も相まって、戦国ファンからも人気の高い武将です。
そんな彼の墓が、なんと達磨寺の境内にあります!
彼の墓は本当に小さく、「これが、かの松永久秀の墓なのか?」と疑問に思ったほどでした。
ライバルの筒井氏により、この地に葬られたとのことです。
御朱印
御朱印は3種類いただきました。
達磨大師の御朱印。
「聖々相見地」。「聖徳太子が達磨の墓を検視した地」ということでしょう。
雪丸の御朱印もお忘れなく!
「そもそも御朱印って何?」という方はこちらの記事もどうぞ。
アクセス
JR王子駅から徒歩15分(詳しくは公式HPにて)
土日祝はボランティアガイドの方による解説も聞くことができます。
コロナウイルスの感染状況により変更されることがあるかもしれないので、必ず事前にこちらでご確認ください。
まとめ
今回のポイントは下記の通りです。
- 聖徳太子のかわいい愛犬雪丸に出会える寺
- 貴重な仏像を解説付きで目の前で拝観可能
- 松永久秀の墓は驚くほど質素
小さな境内に魅力がギュッとつまった達磨寺。コロナが収まったら、ぜひあなたも訪ねてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!よければ他の記事も覗いていただければ幸いです。
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