【聖徳太子の3人の乳母が建てた!?】西方院の伝説が面白い!【御朱印】

御朱印

歴史の扉へようこそ。旅人です!

聖徳太子が眠る叡福寺の、谷を挟んだ向かい側にもう一つの太子ゆかりのお寺があります。

それが今回取り上げる西方院です。

実際に参りましたが、小さな境内にはとても多くの伝説が残る面白いお寺でした!

今回のポイントはこちら。

  • 西方院は聖徳太子の3人の乳母が建てた?
  • 本尊に残る刀傷はあの戦国武将の軍がつけた?
  • 今も残る不思議な納骨の風習とは?

西方院の歴史

坂道を登った上に西方院の門がある。

西方院は推古天皇三十年(622)聖徳太子の薨去後に太子の三人の乳母

善信(蘇我馬子の娘)

禅蔵(小野妹子の娘)

玉照(物部守屋の娘)

が剃髪して太子御廟のある叡福寺の向かいに建てたと伝わるお寺です。

境内

「果たして排仏派だった物部守屋の娘が出家するのかな?」

と疑問も感じますが、一応太子の時代の有力豪族の娘たちが建てたと伝わっています。

織田信長の襲来を伝える本尊・阿弥陀如来

御朱印とともにいただけるお札にも刀傷が!

本尊の阿弥陀如来は聖徳太子の自作との伝説が残ります。

その本尊の太ももにはなんと刀傷が!

実は、西方院は

織田信長の襲撃

にあったのです。

太ももの傷は仏像を運んで逃げる際に信長軍の兵士に切りつけられたものと伝わります。

観音堂

こちらの本尊は十一面観世音菩薩で、恵心僧都作との伝説が残ります。

新西国三十三所8番・河内西国3番の観音でもあります。

観音堂の天井には豪快な龍の図が描かれています。ぜひ、覗いてみてください!

納骨堂

納骨堂には聖徳太子の遺髪が納められたとされ、今も納骨の際には

「髪の毛を剃り出家者の姿となり極楽へ向かう」

という「毛骨」をとる習慣が残ります。

西方院は

太子作の阿弥陀如来を拝み、太子の遺髪を納めて、ひたすら西方浄土を欣求する最古の念仏道場

だったのです。

聖徳太子三尼公廟所

寺のすぐ隣には西方院を創建した3人の乳母の墓があります。

参詣の際はぜひ立ち寄ってみましょう!

御朱印

阿弥陀如来

河内西国第三番

新西国第八番

聖徳太子御遺跡第三十三番

西方院開基1400年記念御朱印

今も西方院に伝わる南無仏太子像の御朱印で、書き置きのみです。

そもそも御朱印とは?

「そもそも御朱印って何?」という方はこちらの記事もどうぞ。

アクセス

電車

近鉄南大阪線「上ノ太子駅」または近鉄長野線・「貴志駅」より「聖徳太子御廟前」バス停下車

付近の寺社:叡福寺

谷の向かいに叡福寺を望む

聖徳太子が眠る叡福寺は西方院の谷を挟んだ向かい側に建っています。

河内三太子の一つで太子信仰を知る上で大事なお寺なので、ぜひ合わせて参拝しましょう!

まとめ

  • 太子の時代の豪族の娘達が建てた(と伝わる)お寺!
  • 本尊には織田信長の兵がつけた刀傷が残っている!
  • 太子作の阿弥陀を拝み、太子の遺髪を納める最古の念仏道場!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

コロナでなかなか寺社巡りに出かけることもできませんが、このブログを読んでいただき、

「Stay Homeで寺社参拝」

した気分になっていただければ幸いです。是非、他の記事も覗いていってください!

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