歴史の扉へようこそ。旅人です!
先日、
「聖徳太子 日出づる処の天子」展
へ行ってきました。
聖徳太子や四天王寺に関わる国宝や重要文化財がずらりと並び、太子信仰がよくわかる展示でした。
ところで、
歴史や宗教に関する美術品・展示品は、そのものが「どのような歴史的意義を持つのか」を知るとより楽しめる
ものだと思います。
今回は、この聖徳太子展(以下、「本展」という。)をより楽しめるよう、図録を参照して展示品の意義など面白い部分をご紹介していきます!
より詳しく知りたい場合はぜひ図録をお買い求めください。
- 「聖徳太子と法隆寺」展との違いはどこにあるのか?
- 太子信仰の起源・四天王寺縁起とは?
- 四天王寺の秘宝「太子伝来七種の宝物」とは?
「聖徳太子と法隆寺」展との違いー大阪の太子信仰
この記事を読んでいる方の中には、先日終了した「聖徳太子と法隆寺」展(以下、「法隆寺展」という。)をみてきた方も多いのではないでしょうか。
もし、「同じようなテーマだし、法隆寺展でよくわかったからこっちは行かなくてもいいかな」と思っているなら、ちょっと待ってください。
たしかに法隆寺展もすごかったですが、本展は
法隆寺展と十分差別化された内容
になっています!
法隆寺展:法隆寺や奈良が中心 ⇄ 本展:四天王寺や大阪が中心
法隆寺展と本展の最大の違いは、「法隆寺展が法隆寺や奈良を中心とした展示である」のに対して「本展は四天王寺や大阪を中心とした展示である」ことでしょう。
太子の大きな業績の一つに「遣隋使の派遣」があります。四天王寺・難波津はまさに当時の日本外交の玄関口であり、飛鳥から難波津までの道中にも聖徳太子と関係の深い寺院は多数存在します。
つまり、
奈良だけでも大阪だけでもなく、両方知ることで初めて聖徳太子・太子信仰について理解できる
といっても過言ではないでしょう。
本展はそうした文脈の中で、大阪を中心とした部分を補完する内容だと思います。
山岸凉子作『日出処の天子』の原画も展示
本展では、太子の死後から現代までの太子信仰の歴史がテーマです。
山岸凉子作『日出処の天子』の原画や聖徳太子の一万円札が展示品として陳列されるなど、現代の日本人の「聖徳太子イメージ」がどのように形成されているかにも迫ります。
令和に生きる我々も飛鳥時代から続く歴史の一部である
と思うと感慨深いものがありますね。
四天王寺縁起
四天王寺縁起(根本本)の「発見」
四天王寺縁起は「太子自筆」とされる四天王寺の縁起及び資材帳のような書物で、寛弘四年(1007)金堂内の六重塔から「発見」されました。
これがきっかけで四天王寺は太子信仰の聖地として天皇・上皇や貴族たちの信仰を集め盛り上がっていきます。
しかし、現在の研究では、
実は聖徳太子自筆本ではなく、寛弘四年の発見時に聖徳太子に仮託して書かれたもの
と見られています。
したたかなPR戦略といったところでしょうか。
四天王寺縁起(宸翰本)と後醍醐天皇
この四天王寺縁起を見た後醍醐天皇は、「人の目に触れるべきものではない」とのことで自ら書写し、天皇自らの手形も押されています。
当時の太子信仰の盛り上がりが垣間見えますね。
四天王寺縁起が生んだ信仰
四天王寺西門が極楽浄土の門?
四天王寺縁起には「当極楽土東門中心」という文言が登場します。
つまり、
四天王寺西門が極楽浄土の東門に通じる
というわけです。
この信仰に基づき、「目隠しをして鳥居をくぐり抜けることができれば極楽往生が叶う」とする「浄土詣り」というゲームのような風習も流行ります。
聖徳太子絵伝の中には、四天王寺伽藍図が描かれたものもありますが、中には西門の前で浄土詣りしている民衆を描いたものもあるので、チェックしてみると面白いかもしれません。
極楽往生のため入水自殺を図る者も
中には遊びで済まなくなった者も。本展では浄土信仰により
入水往生を試みた僧・西念
が所持していた、自身が積み重ねた供養の目録と磬(西念所持四天王寺西門浄土信仰関係資料)も展示されています。
当時の熱狂的な浄土信仰の流行を現代の我々に伝えてくれる貴重な資料です。
聖徳太子未来記
四天王寺縁起には「聖徳太子の未来の予言」も記され、これが都市伝説・オカルト好きの間でも有名な「聖徳太子未来記」を生むことになります。
太子御記文断片
「太子御記文断片」は、河内三太子の一つで、聖徳太子の御廟所がある叡福寺(えいふくじ)より出土したもの。
自身の入滅より約430年余り後にこの御記文が出現することを予言し、国王・大臣に寺塔の建立を促す内容となっていますが、
四天王寺縁起出現の「成功例」を受けた創作
と考えられています。
未来記は『御記文』の出現以降、世が乱れた際に度々出現する
ことになります。
太子未来記伝義
楠木正成は、四天王寺に存在したとされる未来記を閲覧し、太子の予言の言葉により朝廷方の勝利を確信した
といいます。その未来記と伝わるのがこの「太子未来記伝義」です。
『太平記』にもこの逸話が記載されていますが、江戸時代の四天王寺の歴史書『天王寺誌』には「『太平記』に登場する未来記は確認されない」としており、
江戸時代の創作
とされます。
聖徳太子絵伝
聖徳太子絵伝とは?
聖徳太子絵伝とは、聖徳太子の生涯と実績を絵で示したものです。法隆寺など他の寺院のものも有名ですが、実は
四天王寺の絵堂・絵伝は天平時代に作られた日本最古のもの
でした。
四天王寺縁起の「発見」以来、上皇や貴族が参詣した際には必ず絵解きが行われ、絵解き僧には褒美が与えられていたそうです。
残念ながら、四天王寺は火災・災害・戦争に幾度となく見舞われ、絵伝も何度も書き直されています。
本展では日本各地の寺院の絵伝が集結しています。中には四天王寺の絵伝の要素を引き継いだと思われる絵伝もあり、往時の四天王寺絵伝を想像する参考になるでしょう。
善光寺如来絵伝との融合
本展では善光寺如来絵伝も展示されます。
「えっ?聖徳太子と関係なくない?」
と思う方もいるかもしれませんが、実は大いに関係があるんです。
というのも、
聖徳太子絵伝と善光寺如来絵伝が融合していった
歴史があるからなんですね。
詳しくは図録271ページ「融合するふたつの絵伝ー聖徳太子絵伝と善光寺如来絵伝」をご覧ください。
毎週土曜日は出張絵解き(大阪展のみ)
毎週土曜日は四天王寺の僧侶の方が大阪市立美術館に出張絵解き
しにきてくれます(大阪展のみ)。
美術館と寺院のコラボ。新たな太子信仰が生まれる瞬間なのかもしれません。
『別尊雑記』の意義ー救世観音から如意輪観音へ
『別尊雑記』という仏像のイラスト集のような書物があります。意識せずに美術館へ行くと素通りしそうなものですが、実は太子信仰の歴史ではとても重要な意義を持つ書物なんです。
聖徳太子の本地仏(本来の姿である仏)は当初「救世観音」であるとされてきました。
しかし、ある頃から
「如意輪観音」が本地仏とされ、その初出が『別尊雑記』
なんです。
「救世観音から如意輪観音への転換の背景には四天王寺の別当(トップ)が天台宗から真言宗に移ったことがあるのではないか」という仮説が、図録283ページの「救世観音と如意輪観音」という記事に掲載されています。
僕自身、「なぜ聖徳太子の本地仏が救世観音から如意輪観音へ変化したのか」をずっと疑問に思っていたので、読了後はまるで推理小説を読み終えたかのような爽快感でした。気になるかたはぜひ図録をご覧ください。
太子伝来七種の宝物
四天王寺には、「聖徳太子が生前に持っていた」と伝わる七種の秘宝が伝わり、本展で見ることができます。
①丙子椒林剣・七星剣(国宝)
一つ目がこちらの剣です。当時はまだ日本刀のような反りがなく、直刀であることが大きな特徴です。
聖徳太子のイメージで最も有名な唐本御影でも太子は腰に剣を佩いています。
実際に太子もこの剣を佩いていた
のかもしれません。
②鳴鏑矢(重要文化財)
合戦の合図に用いた矢で、
「物部守屋との戦いで使用した」
という伝説の矢です。
③唐花文袍残欠(太子緋御衣)(重要文化財)
聖徳太子のトレードマークでもある「緋色の袍」の破片です。実際に着ていたのかも。
④懸守(国宝)
首からかけるタイプのお守り。聖徳太子所用の品との伝承があります。
平安時代作なので、実際には聖徳太子は持っていなかったでしょうが、
懸守の中世以前の実作例は四天王寺の七懸と熊野速玉大社の一懸しか現存しない
という貴重なものです。
⑤龍笛・高麗笛(京不見御笛)
後花園院が京都へ運ばせると破損したが、四天王寺へ持ち帰ると元通りに直ったという伝説から「京不見御笛」と呼ばれる笛です。鎌倉時代(13~14C)作。
⑥細字法華経(重要文化財)
太子の前身であるという中国の僧:慧思(えし)の所持した法華経を、太子自らが夢殿で感得し、書写したものと伝わるお経。平安時代(11C)作。
⑦四天王寺縁起(根本本)(国宝)
すでに記述したとおり、こちらの縁起も聖徳太子自筆という伝説がありますが、実際には平安時代に書かれたものです。
聖徳太子童形立像(植髪太子)
鶴林寺の秘仏で、平安〜鎌倉時代に生身(存命の仏の姿をリアルに再現した尊像)を拝することが渇望される中、制作されました。
頭部に実際の毛髪を植え込む像=植髪像
です。リアルすぎてちょっと怖いですね(汗)。
アクセス
大阪展ー大阪市立美術館
前期 令和3年(2021)9月4日(土)〜9月26日(日)
後期 同年9月28日(火)〜10月24日(日)
展示替えがありますので、見たい宝物がどちらの期間で見られるか要チェックです!
東京展ーサントリー美術館
令和3年(2021)11月17日(水)〜令和4年(2022)1月10日(月・祝)
まとめ
- 本展では大阪・四天王寺を中心とする太子信仰がよくわかる!
- 大胆なPR戦略:四天王寺縁起は浄土信仰・未来記も生んだ太子信仰の起源!
- 聖徳太子が佩いたかもしれない丙子椒林剣・七星剣は必見!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
とても貴重な展示でしたので、コロナの感染状況に気をつけながら、ぜひ足を運んでみてください!
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