【応仁の乱発端地】京都・上御霊神社のいちはつと尾形光琳・燕子花図の秘話【御朱印も!】

京都

歴史の扉へようこそ。旅人です!

今回取り上げるのは、御靈神社(上御霊神社)です!

  1. 京都の夏祭りの多くは上御霊神社がルーツ?
  2. 上御霊神社は応仁の乱発端の地なの?
  3. あの尾形光琳作『燕子花図』との意外な関係とは?

京都の夏祭りの多くはここが発祥?御靈神社(上御霊神社)の歴史

概要

上御霊神社は延暦十三年(794)桓武天皇が崇道天皇(早良親王)を祭神として祀ったのが始まりで、御霊信仰のルーツともされます。

御霊信仰とは

早良親王は桓武天皇の弟で、謀反の疑いをかけられ、獄中で無罪を訴えて食事を断ち、憤死した親王です。

その後、桓武天皇の周囲の親族が次々と病死。これを早良親王の御霊による祟りだと考えた天皇は、都を遷し、「平安な世になるように」との願いをこめて平安京と名付け、早良親王を丁重に祀り、崇道天皇(実際には即位していない)という諡号を贈りました。

こうした悲運のうちに亡くなった高貴な者を祀ることで、災いを無くそうとする信仰のことを御霊信仰と言い、その祭りを御霊会と言います。

京都の夏祭りの多くは御霊会であり、その意味で上御霊神社はその発祥と言えるでしょう。

境内の様子

立派な鳥居ですね。

楼門も美しい。

こちらが本殿です。

上御霊神社の御神紋。かっこいいですね!

応仁の乱発端の地

そして、上御霊神社の境内が、応仁の乱発端の地でもあります。

ちなみに、上の写真の石碑の表字は東陣総大将・細川勝元の後裔:細川護煕元首相の揮毫によるものです。

解説の看板も立ってます。

尾形光琳『燕子花図』といちはつの花

上御霊神社の外堀にはいちはつの花が咲いています。

美しいですね。

実は、戦前まで外堀に水が通り、相国寺の境内を抜けて御所まで流れていました。これが、現在も地名に残る「今出川」です。

現在は陸生のいちはつが咲いていますが、戦前は杜若が群生していました。

付近に尾形光琳が住んでおり、有名な燕子花図は「上御霊神社に咲いていた杜若から影響を受けたのではないか」とも推測されます

現在、いちはつの会というボランティア団体の方々が手入れをされているそうです。

尾形光琳作『燕子花図』

そして、上御霊神社と対となる下御霊神社という神社も存在します。

こちらについてもいずれ記事にしたいと思います。

御朱印

御朱印

御朱印は一体1000円。疫病退散祈願の護符と落雁もついてきます。

御朱印帳

御朱印帳は上記公式インスタの投稿の通り。上品な白が美しいですね。

初穂料は2000円です(朱印料込み/組紐・ビニールカバー付き)。

そもそも御朱印とは?

「そもそも御朱印って何?」という方はこちらの記事もどうぞ。

アクセス

・地下鉄烏丸線鞍馬口駅徒歩3分

・市バス37系統出雲路俵町西へ400m

まとめ

  • 上御霊神社は京都の夏祭りの多くである御霊会発祥の地
  • 境内は応仁の乱発端の地
  • 尾形光琳『燕子花図』にも影響を与えた(かも)

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

コロナでなかなか寺社巡りに出かけることもできませんが、このブログを読んでいただき、

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